東日本大震災があった年、2011年の6月1日に「WebデザインChaffflare(チャフフレア)」という屋号で独立しました。30歳のときです。そこから丸6年も経って、7年目に突入です。あっという間ですね。当時を思い出しながら、ちょっと振り返ってみようと思います。
独立したきっかけは、子どもができたから
30歳で独立したのですが、きっかけは奥さんの妊娠でした。奥さんは同期で同い年のデザイナー。いわゆる職場結婚でした。結婚して2年ほど経って妊娠がわかったのですが、どうにもツワリが酷く出勤もままならない状態だったので「外注になったら」と勧めました。奥さんは渋々ながら承諾し、会社を辞めて先にフリーでスタートしました。
僕自身は制作(コーダー)として入社し数年後にディレクターへ異動をしていました。技術面よりもディレクション面のほうが向いてるかも、と自分でも思っていた頃でした。独立願望がないわけではなかったのですが、明確なビジョンや目的を持っていたわけでもなく、かといって転職活動をしていたわけでもなかったのですが、在宅で働き始めた奥さんを見ていて「あ、いけるかも」と何となく独立を考えました。
前職がわりと長時間労働の職場だったのですが、子育てはちゃんとやりたいと思っていて、子どもが小さい間の数年は細々とした収入でも自宅で奥さんとゆっくり仕事をするのもいいかな、くらいの甘い考えでした。
そんな時に後輩の男(すでに会社は辞めていた)と飲む機会があり「おれ会社やめるけど一緒にやる?」と聞いたら「いいっすよ」と即答。奥さんにも相談する前でしたが、この時に独立することが決まりました。そうとう適当ですね。
何かを始める時、何がいちばん大事なのか
そんなノリで奥さんと後輩と3人で始めようと決まりましたが、その段階でも特にビジョンや明確な経営計画があったわけでもなく、自分たちの出来ることは「Webサイトを作ること」だけだったので、それを仕事にしようと自然に決まりました。
一番大切なのは
「その一歩を踏み出して、始めること」
千里の道も一歩から。僕の好きな鶴というバンドがこう言っています。
www.youtube.comさあ、その一歩を踏み出せば、まだ見たこともない世界
鶴「その一歩」
※ぜんぜん知らない子どもですが可愛いですね
奥さんとの2つの約束
「経営計画が~」「資金が~」「顧客はどうするんだ」と当然考えなければいけないことはたくさんありましたが、僕はまずやってみようと思っていました。ただ奥さんには2つ約束をしました。
- 借金はしない
- ダメだったらスパッと辞めて会社員に戻る
この2点です。退路を絶つ生き方ではなく、ダメで元々。ダメだったら諦めようというスタンスです。ちなみに今でもそう考えています。
幸いにもこの業種は人件費がメインで、在庫リスクや材料費が他業種よりも少ないので初期費用は小額でスタートしやすいというメリットがあります。
そして、たとえ失敗しても「独立して自分で事業を始めた事がある」という経験は必ず活きるなと思ったからです。デメリットは「あいつ失敗したらしいよw」と人に”笑われる気がする”、といったしょうもないプライドくらいだと思えば、対したことはないですね。
独立から7年目を迎えて
最初は個人事業主で始めましたが、1年半ほどで法人化して現在は「株式会社チャフフレア」として仕事をしています。会社としても5年目に入っております。
独立のきっかけになった長女は6歳になり小学生に。2人目の長男も1歳4ヶ月になりました。
3人で始まったチャフフレアは現在自分を含めて社員5人、外部のパートナーもたくさん増えました。お客さんにも恵まれ、たくさんのやりがいのある仕事を頂いております。まだまだ課題は多く、売上も伸ばしていかないといけませんが、「とりあえず楽しそうにやっとるわ」と豊玉の北野さんに言っていただけるように、肩肘張らずに続けていこうと思います。
Webサイト制作でお困りの際は、是非お声がけしてください。待ってます!
以上、チャフフレアと鶴のステマでした(嘘)
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