映画「許された子どもたち」を見る。あなたは本当に母親を責められますか?

新型コロナウィルスに対する緊急事態宣言も解除され、東京都は6月1日からステップ2という段階に入りました。映画館も自粛要請から約2ヶ月ぶりに解禁された形です。そんな初日に選んだ映画は「許された子どもたち」という映画です!まずは予告をどうぞ。

映画『許された子どもたち』オフィシャルホームページ
http://www.yurusaretakodomotachi.com/

少年たちは同級生を殺した。だが、裁かれなかった。
とある地方都市。中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星(いちかわ・きら)は、同級生の倉持樹(くらもち・いつき)を日常的にいじめていた。いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。警察に犯行を自供する絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理(まり)の説得によって否認に転じ、そして少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定する。絆星は自由を得るが、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。

果たして、罪を犯したにも関わらず許されてしまった子どもはその罪をどう受け止め、生きていくのか。大人は罪を許された子どもと、どう向き合うのか。

同級生を殺したが無罪になった少年を中心とする話です。かなりショッキングですが予告を見た瞬間にこの映画は見に行かねばと思いました。

自粛明けの映画リスタート作品としてはなかなか衝撃的な映画で超重かったですが見に行ってよかったです。描写もなかなか強烈です。

以下、映画を思い出しながら自分の考えを書いていきます。ネタバレっぽくは書かないつもりですが見たくない人は見ないでくださいね。

 

 

 

 

「あなたの子どもが人を殺したらどうしますか?」という副題

本作の大きなテーマでもある「いじめ」「少年犯罪」「私刑」。自分も3人の子を持つ親ですが子どもたちが被害者・加害者になること「いじめられる」「いじめること」は同じ可能性があります。うちの子に限って・・なんて口が裂けても言えません。

親という視点で見たとき、この映画を見て多くの人は「この母親が悪い」という感想を持つでしょう。犯罪を犯したと勘付きながらも子どもをかばい無罪を勝ち取る。キラキラネームを子どもにつける。中学生にもなっているのに過保護で甘い。自分たちが被害者のよう振る舞う。そもそも子どもの非行に気がついていない。など、母親のことを酷評し「こんな親のせいで子どもが非行に走ったんだ」そう考えませんでしたか?

自分も途中までずっとそういった目線でストーリーを追っていました。「自分だったら罪を認めさせて一緒に世間に謝罪するのか?」「育て方が悪かったと叱るのか?」「まさか罪を犯した我が子を親が裁くのか?」など・・。ただこの視点こそが私刑なんですね。第三者が外野からの様子や結果だけを見て母親を裁く。劇中で何度も描写されるクラスメイトや近所・SNSでの私刑と同じ構図なんですね。

母親に本当に原因があると、あなたは判断できるのですか?

全ての行動に理由があるわけではない

映画を通して感じた感想は「不快感の演出」です。「あの笑顔の意味は何?」「ていうか殺した理由は?」「あの行為はなに?」といった回答のはっきりしない描写はもちろん、クソみたいな暴力、偽善の弁護人、中身のない学級会、ジャスティスと叫ぶYoutuber、SNSのクチコミ表現、不協和音、謎のケーキ作り・・など。これらは意図的に不快感をだすための演出なのかなと。

不快な点が多く全てが問題点のように見えます。ですが直接の犯罪行為には関係なく「いじめ・殺したことに理由なんてない」わけで「ギラギラしている少年」「母親と仲のいい少年」のどちらも本人で、人間は多面性をもち正義も悪もなく不快な現実感をもってるという感じなのでしょうか。

家庭環境に問題があるかも、教育現場に問題があるかも、インターネットやSNSが悪いのかも。答えを決めつけるなんてできないんです。だから映画館から帰る時にずっと悶々と考えてました。

「あなたは本当に母親を責められますか?」

 

 

そして映画見た人に質問!

一番最初にボロボロで出てきたのは「緑夢」じゃなくて「絆星」ですよね??
(ずっと鑑賞中は緑夢だと思っていて、絆星だと考え直すと少し腑に落ちた)

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